
日本の伝統を探検し新しい意味を発見していく試み
「日本探検」。明治維新後100年近く経ち、隅々まで近代化が推し進められた1960年の日本に住まう人間が書いた本のタイトルとしては、いささか奇異に感じられないだろうか。
「探検」とは、未知の地に対する踏査を意味する語であるから、「日本」に生まれそこで育まれたものが既知の対象である自国を「探検」することなど成立しようもないではないか――。無論、著者はそのような読者の反応を先読みして、この挑発的といってもいいタイトルを付している。
著者梅棹忠夫は、日本を代表する民俗学者・比較文明論者である。本書の元となる原稿が『中央公論』で連載された1959年時には既に豊富な海外調査体験を積んでいた。
動物学者今西錦司の門下生として、戦前の学生時に朝鮮半島の山岳地帯やミクロネシアのポンペイ島、中国黒龍江省の学術調査に参加。戦後、1955年のカラコルム・ヒンズークシ学術探検、1957年の第一次東南アジア探検、二つの探検を経てのち、本書の執筆に着手することになる。

伝統には時代を先取りした先進性が同居しており、だからこそ伝統たり得る
そういう梅棹だからこそ、この書籍では祖国を客体化して書いている。明治時代よりも前の「封建的な江戸時代」としてのみ捉えられやすいような時代にも、極めて先進的なものが既にあったということが描かれているのである。
たとえば、明治維新より後、現代まで続くような日本全体の視点、さらに国際的な視点までが日本の地方で認識されていたこと、またこうしたいわゆる「伝統的な文化や組織」として捉えられやすい対象にも、かなり時代を先取りした先進性が同居していることを明らかにしていくのである。
私たちが考えている以上に「伝統的」なものは過去においても先進的であるし、そこに生きた人間がいる以上、我々が思いつくくらいのことは、実は伝統文化の中に内包されているのかもしれない、というめくるめく実態を描き出していくのだ。

本書が訴える「伝統に内在する現代性」
「国外での未開民族の人類学的探検こそは、じぶんのなすべき仕事であると思い定めて来た」著者は、「じぶんの意識を比較文明論というところにまで拡大し、すべてを人類史の大きな流れのなかにおいて理解できるようになりたいとのぞむようになった」ため、「よく知られているはずの民族や社会にも、あたらしい見方に立って、考えなおすべきことがたくさんある」(268頁、あとがき参照)と考え、「日本」を「探検」のフィールドの一つに据えたのだ。
これは、比較文明的・巨視的手法により祖国を客体化する試みであった、と換言することもできよう。
梅棹は本書において、歴史・宗教・先端的な学術研究の場へと縦横無尽に切り込みながら、「伝統と近代」「異質と同質」など、旧来の図式に囚われず、伝統や文化ということの、変化に満ちた新しい側面、固定観念に基づいて掘り出されていない広い面を明らかにしていく。(つづく)

投稿者プロフィール

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文筆業
時代を超えて息づく美、束の間の、エフェメラルな持続の中にのみたち現われる美、じぶんは、様態を問わず、あらゆる美に惹かれ続けているのだと思う。限られた生の時間の中で、美の深奥を感じられる時を増やしていきたい。
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広告会社勤務を経て、大学院に進学。美学を学ぶ。大学非常勤講師、京都市の伝統芸能文化創生プロジェクトなどのメディアへの寄稿、美術系出版物の翻訳など、主に芸術文化領域で活動。映画「ミンヨン 倍音の法則」佐々木昭一郎監督 助演
早稲田大学第一文学部卒業、京都大学大学院 人間・環境学研究科博士後期課程中途退学、修士(人間・環境学)


